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​風の鼓動 石坂亥士のパーカッション

アジアの広大な大陸を吹き渡る風は、

日本という小さな島にも押し寄せ、

とがった峰々や、切り刻まれたような、

狭隘な谷のすみずみを、小さな風の渦となって吹き廻り、

再び大河のように合体して、アジア大陸へと帰ってゆく。

 

     その渦のように吹き廻る風は、一瞬、石坂亥士の体内にとどまり、

     体温を吸って音に結晶する。

 

石坂亥士のパーカッションは、私達の血肉に織りこまれた、

はるかな民族の記憶に響鳴する。

この小さな島で、幾千年かをすごしてきた日本人達が、記憶の底に

たたみこんできた、まるで自分自身の鼓動のような音律。

 

     遠くアルタイ山脈に発し、中国大陸を旅したのち、

     朝鮮半島を経て、この島に到った人々。

     それからまた、ユーラシア大陸の奥深く生まれ、

     ヨーロッパの陸地のすみずみを満たし、

     さらなる西を目ざして漕ぎ出した人々。

 

アフリカ大陸の熱い大地に、多くの命を落とし、また育んだ人々。

太平洋の島々から手製の舟で別の大陸と往き来した人々。

その別の大陸にも、アジアから長大な旅に耐えた人々がいた。

 

     万年におよぶ、長い道程で、私達の魂は、どれだけ多くの民族、

     多くの村々と肌を触れ合ったことだろう。

     彼らを襲った苛酷な出来事や、また祝祭の喜びを、

     どれだけ多く記憶したことだろう。

 

石坂亥士の音律は、それらの記憶すべてを抱擁し、今、新しい光景をつむぎだす。

それは、アジアの顔を持ちながら、魂はこの全地上に千遍である風の鼓動だ。

 

     風は、彼の脳髄から延髄から魂から筋肉を、ひとつの結晶に結び、

     私達にささやきかける。

 

「生きよう、喜びを分かち合おう、」と。

 

                         荒地 かおる

30代前半の頃、メキシコのオアハカで演奏した時に、現地に住んでいた荒地さんが書いてくれた詩。あまりにも壮大な内容だったので、それに見合う演奏家になりたいと思いつつ持っていたのですが、先日、彼女が他界されたのを機に、ここに公開することにしました。                  石坂亥士

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